私たちの便利な生活は,様々な化学物質に囲まれ,また支えられています。例えば、ペットボトル,衣類や履物,自動車や家電製品,洗剤,薬,化粧品,建物の材料など,身の回りにあるものは全て化学物質でできています。米国化学会(American Chemical Society)の情報部門であるChemical Abstract Service(CAS)では,世界で公表されている化学物質の情報を収集,登録していますが,その登録数は既に1億を超えています。これらのうち,10万種類程度の物質が工業的に作られ,使用されていると言われており、とても多くの化学物質が私たちの生活において何らかの形で役立っていると言えるでしょう。
その一方で,化学物質は間違った使い方をすると人や環境に悪い影響を及ぼす可能性もあります。このため,化学物質の利用においては,利用に伴って悪影響が生じないようにすることが必要です。日本では,「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」(化審法)という法律のもと,化学物質の製造・輸入量の把握やリスク評価が行われ,その結果に応じて必要な規制が行われています。
化学物質のリスクの大きさは,化学物質の「有害性」の強さと「暴露」の大きさで決まります。「暴露」とは,人や動植物が化学物質と接触することです。このため,化学物質のリスク評価では,暴露量を見積るために化学物質が環境へどのくらい排出されているか(環境排出量)の情報が必要となります。また,ダイオキシン類やPCBなどの残留性有機化合物(Persistent Organic Pollutants: POPs),水銀など,国際的な枠組みや国内法などで個別に規制されている化学物質については,排出量管理の計画策定や進捗状況評価のための基礎情報としても環境排出量の把握が求められています。このように,化学物質管理においては環境排出量を知ることが必要となります。
化学物質の環境排出量は,世界または国レベルで把握される場合と個別の事業所等のレベルで把握される場合があります。前者は排出インベントリ(排出目録)とも呼ばれ,日本ではダイオキシン類,水銀,揮発性有機化合物(Volatile Organic Compounds: VOCs)などについて作成されています。一方、後者の代表的な例としてPRTR制度というものがあります。この記事ではこのPRTR制度についてもう少し詳しく紹介したいと思います。
PRTR制度とは,Pollutant Release and Transfer Registerの略で,日本語では化学物質排出移動量届出制度または環境汚染物質排出移動登録制度と訳されています。PRTR制度は「有害性のある多種多様な化学物質が、どのような発生源から、どれくらい環境中に排出されたか、あるいは廃棄物に含まれて事業所の外に運び出されたかというデータを把握し、集計し、公表する仕組み」(環境省PRTRインフォメーション広場より)です。1970-80年代に,オランダやアメリカで導入されていましたが,1992年の地球サミットにおいてその重要性が国際的に広く認識され,1996年のOECD勧告によって多くの加盟国において導入が進みました。日本では1999年に制定された「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律」(化管法)のもと,2001年から制度が導入,運用されています。
PRTR制度の具体的な内容は各国で異なりますが,現在の日本の制度では,462種類の化学物質について,一定の要件に該当する事業者は、各事業所からの化学物質の環境(大気,公共用水域,事業所内の土壌,事業所内の埋立処分)への排出量と事業所外(下水道,廃棄物処理)への移動量を把握し,都道府県を通じて国へ届出することになっています。届出されたデータは国によって集計,公表されるとともに,個々の事業所のデータも全て公表されています。
また,日本のPRTR制度では,事業者からの届出のほかに,届出の対象にならない事業所(化学物質の取扱量,従業員数,業種が定められた要件に該当しない事業所)や家庭,自動車など事業所以外の排出源から環境中に排出されている対象化学物質の量を国が推計して公表することになっています(「届出外排出量」と呼ばれます)。
PRTRデータの概要は環境省が市民ガイドブック1)としてわかりやすくまとめています。また,個々の事業所のデータは環境省(www2.env.go.jp/chemi/prtr/prtrmap/)やNPO(http://www.toxwatch.net/)のウェブサイトで市町村名や化学物質名から検索・閲覧することができます。皆さんも一度データをご覧頂いて,自分の住んでいる地域にどのような化学物質を排出している事業所があるのか,家庭などからはどのような化学物質が排出されているのかなどを知ってみてはいかがでしょうか。
国は届出排出量と届出外排出量を集計し,国全体の合計値として公表しています。しかし,PRTR制度は主に事業者等の自主的な排出削減や情報公開の促進が目的であるため,PRTR届出および届出外排出量は存在する排出源を全て網羅しているわけではありません。
PRTR制度でカバーされていない排出源の1つとして廃棄物処理やリサイクルがあります。PRTR制度では,廃棄物処理事業者(一般廃棄物処理業,産業廃棄物処分業)は制度の対象業種になっていますが,たとえ受入廃棄物に制度の対象化学物質が含まれていたとしても、一部を除いてその排出量の把握,届出の義務はありません(※注)。これは,廃棄物は化学物質の含有状況が不明確な場合があるため,受入廃棄物に含まれる化学物質は取扱量にカウントしないことになっているからです。
しかし,図に示したように,PRTR制度で届出されている排出・移動量を見ると、大きな割合を廃棄物としての事業所外への移動量が占めていることから,一定の量の化学物質が廃棄物処理やリサイクルプロセスに移動していることは明らかです。また,製品として,または製品に含まれて市場に出た化学物質は,使用中に環境排出されなければ最終的に廃製品や廃棄物として廃棄物処理やリサイクルプロセスに移動することになります。廃棄物処理やリサイクルプロセスに移動した化学物質全てが環境に排出されるわけではなく,むしろ廃棄物処理やリサイクルが化学物質の除去,無害化,管理された状態での処分等によって環境排出を食い止める役割を果たしていると考えられますが,その確認も含めて環境排出の実態を把握することは重要な課題と言えます。国の審議会や国会審議においても,PRTR制度の届出外排出量推計や化審法のリスク評価で廃棄物処理やリサイクルプロセスからの環境排出量を考慮する必要性が指摘されています。
このような背景から,資源循環・廃棄物研究センターでは,廃棄物処理やリサイクルプロセスへの化学物質の移動とその後の流れ,廃棄物処理やリサイクルからの化学物質の環境排出量を推計するための手法開発とデータ蓄積,それらに基づいた実際の推計を行う研究に取り組んでいます。平成27年度から29年度までは,(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(3K153003)を受け,特に廃棄物の焼却処理を対象とした研究を行ってきました。結果をちょうど取りまとめているところですので,また別の機会に詳しく紹介できればと思います。
※注:一般廃棄物処理業、産業廃棄物処分業の事業者は、水質汚濁防止法で排水中濃度の測定が義務付けられている30物質の公共用水域への排出量とダイオキシン類の大気への排出量(および処理薬剤等で対象化学物質を使用している場合にはその化学物質の排出量)の把握、届出義務があります。
<もっと専門的に知りたい人は>
- 環境省:PRTRデータを読み解くための市民ガイドブック(https://www.env.go.jp/chemi/prtr/archive/guidebook.html)
<関連する調査・研究>
【第4期中長期計画】
- 資源循環研究プログラム 2
- 基盤的な調査・研究 3:資源循環と物質管理に必要な各種基盤技術の開発と調査研究