近況
2017年11月号

豊島(てしま)不法投棄問題から学ぶべきこと

大迫 政浩

はじめに

写真1 豊島にて最標高の壇山から香川県の屋島、五剣山方面を望む(筆者撮影) 写真1 豊島にて最標高の壇山から香川県の屋島、五剣山方面を望む(筆者撮影)

今年の5月中旬に瀬戸内海に浮かぶ豊島を訪れる機会を得ました。豊島は、今でこそ過疎化により人口も減少し、高齢化問題をかかえる島となっていますが、かつては雨の少ない瀬戸内海の島々にあって、水資源が豊富で農水産業がさかんな文字通りの豊かな島であったと言います。2010年からは3年ごとに現代アートの祭典である瀬戸内国際芸術祭が周辺の島々とともに催され、風光明媚な芸術の島として、国内外から観光客が絶えません(写真1参照)。

もちろん、廃棄物に関わっている私たちの分野では、大規模な産業廃棄物の不法投棄事件が起こった島としてあまりにも有名です。この事件を契機に産廃特措法(特定産業廃棄物に起因する支障の除去等に関する特別措置法)が制定され、不法投棄による汚染現場の原状回復や撤去物の処理に、産業界からの基金を充てた財政支援を国が行う仕組みなどが出来ました。また、廃棄物処理法において不法投棄を防止するための規制の強化も行われてきました。そして豊島では、産廃特措法に基づく原状回復を図るための投棄物の処理事業が、長年にわたり実施されてきましたが、今年(平成29年)の6月をもって投棄物等の処理がようやく終了したのです。

本稿では、日本の廃棄物分野の歴史の中で一つのエポックとなった豊島問題について振り返ってみたいと思います。

問題の概要

さて、豊島産廃不法投棄問題の流れを簡単に整理したいと思います。産業廃棄物処理業を営む豊島総合観光開発(株)は、昭和50年代後半から平成2年にかけて、大量の産業廃棄物を搬入し、不法投棄を続けました。豊島住民は、処理業者が香川県に施設の設置許可申請を出した50年代前半から、陳情、抗議、処分場建設差止請求訴訟などの反対運動を繰り広げました。結果的には県が許可を出し、業者は金属くず商の許可も得て、シュレッダーダストなど許可を受けていない廃棄物の搬入や野焼き行為を始めます。そして、不適正な行為は兵庫県警が平成2年11月に処理業者を摘発するまで続き、その後には、膨大な量の有害物質を含む産業廃棄物が残されたのです。

平成5年11月、豊島住民は、処理業者とこれを指導監督する立場にあった香川県、産業廃棄物の処理を委託した排出事業者らを相手方として公害調停を申し立てました。その後の調査により投棄物には重金属やダイオキシンなどの有害物質を相当量含み、土壌や地下水への影響も判明しました。平成9年7月には、住民らと県との間に中間合意が成立しました。合意の下で、県は産業廃棄物等について溶融等による中間処理を行い原状回復することとなり、新たに設置された第三者的な技術検討委員会による調査検討を経て、処理方法や豊島の隣にある直島に中間処理施設を建設することが合意され、平成12年6月に調停が成立しました。そしてその際に、香川県知事は、県の判断が誤っていたことに対し公式な謝罪を行ったのです。

技術委員会による検討はさらに進められ、処理を担う事業者が選定された後、平成15年に中間処理施設(溶融)が完成し、処理事業が本格的に動き出しました。そしてその後の進捗管理は管理委員会に引き継がれ、平成29年6月をもって約14年間(当初は10年間を想定)の処理がようやく終了したのです(写真2、3参照)。この間に処理した量は、当初の推定量(60万トン)をはるかに上回る約90万トンに達し、この事業に要した総費用は、7百億円を超えたと報告されています。

写真2 投棄物の撤去が終了した場所。しばらくは排水処理をしながらモニタリングが続く(筆者撮影) 写真2 投棄物の撤去が終了した場所。しばらくは排水処理をしながらモニタリングが続く(筆者撮影)
写真3 海上から見る不法投棄現場。周辺を鉛直遮水壁である鋼矢板で囲み、汚染拡大防止を図っている(筆者撮影) 写真3 海上から見る不法投棄現場。周辺を鉛直遮水壁である鋼矢板で囲み、汚染拡大防止を図っている(筆者撮影)

学ぶべきこと

筆者は、「豊島問題」に関して、これまで文献や関係者からの伝聞等による外見的な部分しか知る由がありませんでした。しかし、今回の訪問の中で、投棄物の処理事業に長年にわたり関わった方や、宿泊した豊島の宿のご主人から生のお話を聴いて、改めて豊島問題から学ばなければならないと思いを強くしました。また、今後の廃棄物行政、特に筆者が現在深くかかわっている「福島問題」、すなわち福島第一原発事故によってもたらされた放射性物質による環境汚染の問題への教訓が多くあるように思いました。両者は、問題の規模も複雑性も異なるかもしれませんが、豊島問題を解決に導いた以下の要素が特に重要であると思います。

  • 一、事業運営管理の透明性確保(徹底した情報公開)による信頼醸成
  • 二、第三者的な技術委員会(管理委員会)を中心にした住民側と行政側の間の利害調整と意思決定過程
  • 三、長期的に事業を支えた多くの人々の使命感、責任感、そして覚悟

先に述べたとおり、原状回復のための事業については、技術委員会(管理委員会)やホームページ上ですべての情報を開示し、徹底した情報公開が行われました。そのことが、地域住民を含めた関係者からの事業に対する信頼感醸成につながったと言えます。また、第三者的な技術委員会が公正性をもって判断したことを、事業者(県)側と地域住民側の双方が尊重し事業の方向性等の意思決定が行われてきたことは、権威をもった第三者の存在が利害関係の調整に有効に機能したことを示しています。そして何より特筆すべきことは、何十回という技術(管理)委員会で妥協を許さず議論を重ねた永田委員長(現、早稲田大学名誉教授)をはじめとした有識者、情熱をもって住民を叱咤激励、指導した故中坊弁護士(元、日本弁護士会会長)、安全で安定した処理を追及し続けた技術者等々の使命感、責任感、そして覚悟が、長年にわたる本事業の推進力になったように思います。そこには、激動の人間模様を感じずにはいられません。

大迫先生、じゅん、たまき以上の要素が、豊島問題から学ぶべきことのように思います。そしてこれらが、現在の「福島問題」への対応に足りないように思えてならないのです。処理事業が終了したこの時点で、これまで関わった諸先輩方には「豊島問題」を是非とも総括検証してもらいたいと願っています。そして、得られる教訓を「福島問題」を含む将来の環境政策に活かしていくのが、これからの私たちの役目だと考えています。

※本稿は、月刊廃棄物7月号(2017)の巻頭言記事の内容をもとに、追記、再構成したものである。

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