「ごみ焼却施設などから排出されるダイオキシンは、大気だけでなく、水や土壌にもまたがって、複合的に汚染するのです。」これは、某出版社の高校生用「保健体育」の最新版教科書に記載されている文章です。同じページには「ダイオキシンによる環境汚染のしくみ」を解説した図があり、焼却施設から排出された排煙や、最終処分場からの飛散や流出により土壌汚染や水質汚濁に繋がり、周辺の土地の家畜や海の魚を汚染していることを想起させる絵が掲載されています。数十年前は、水俣病やイタイイタイ病などの公害事象に対して、どのように対策を施していくかが環境保全上の最大の課題でした。そして近年は、「ごみ焼却施設」が新しい環境汚染の元凶の象徴として取り上げられ、教科書で解説されているように思います。
この教科書からは、ごみ焼却施設は今でも「環境汚染の元凶」といったイメージしか伝わってきません。確かに、かつてごみ焼却施設から発生するダイオキシン類は大きな問題になりました。しかし1990年代半ばから対策が進み、1999年にはダイオキシン類対策特別措置法が制定され、日本のごみ焼却施設は高度なダイオキシン対策が施された施設に改善されました。今では、人口が密集している都市の真ん中に焼却施設が立地しているところさえあります。ごみの焼却により生成する熱や電気は、重要な新エネルギー源の一つとして期待されているほどです。したがって、先の教科書は、廃棄物処理の研究分野で仕事をしている私達から見れば、たいへん残念なことに、あまりにも偏った内容になっています。
廃棄物の発生抑制やリサイクルは重要ですが、どうしてもリサイクルできないごみは適正に処理しなければなりません。その際に焼却施設は必要不可欠なものです。先にも述べたように、現在はエネルギー供給施設として重要な役割を果たしている側面さえあります。子供達には、ごみ焼却施設を環境汚染源として一面的に捉えた教育をするのではなく、社会にとってのメリット、デメリットの両方を正しく教えて、社会を多面的に理解する能力を養う教育をしていくべきだと思います。そのためには、事実を正しく伝えてもらえるように私達研究者も協力し、学校教育との連携もより積極的に行っていくべきだと思います。
以上のような教育の大切さに改めて気づかされたのは、今般の放射能汚染廃棄物の処理の問題を通してでした。放射性物質を含む廃棄物の焼却処理へのアレルギーは凄まじいもので、私達が科学的知見をもって説明しても、なかなか一般市民の方々には理解していただけません。そこには、教科書で取り上げられているような「環境汚染の元凶」というイメージが、社会の中に浸透していることが大きな原因になっているようにも思います。リスクは完全にゼロではありませんが、社会としてどのような答えを出していくべきか、科学的な知見をもとに多面的な見方で冷静に議論していくことが重要だと思います。
さて、一昨日、地域社会貢献の一環として、中学校の一クラスの授業を受け持ちました。そこで「不法投棄問題から私達の社会を考える」と題したお話をしました。不法投棄がなぜ起こるのかを社会構造の視点で考えれば、図1に示すように、廃棄物を排出する人が適正な処理費用を支払っていない、住民反対等で廃棄物を処理する施設が十分に整備できていない、リサイクル施設を整備しても価格や品質面からリサイクル材や製品を消費者が購入してくれない、といった理由から、廃棄物の適正な出口が確保されていないことが根本的な原因になっているといえます。裏返せば、社会の在り様として、廃棄物を出した人が適正な処理費用を支払うこと、地域で必要な処理施設は迷惑施設であっても受け入れていくこと、価格が多少高くても品質が多少悪くても機能が十分であれば環境負荷の小さいリサイクル材や製品を購入していくことが、廃棄物の出口をつくり、不法投棄を無くしていく社会につながっていきます。不法投棄問題は、実は私達の社会そのもののあり方を問うているのです。授業を行った後で担任の先生から、「不法投棄問題の背景に社会問題のいろいろな側面があることを初めて理解しました」という感想を頂きました。「将来の日本にとって、社会に対する多面的な見方が出来る人材を育てることが大切なのではないでしょうか」と私からもお伝えしました 。
今回の「近況」では、少し視点をかえて、私が眼にした高校生用教科書の内容をみて感じたこと、一昨日中学校で受け持った環境問題に関する授業の経験を通して考えたことを個人的「近況」としてご紹介しました。今回は取り上げませんでしたが、「学校教育」だけでなく「家庭教育」も重要な役割を担っていることも忘れてはなりません。
今直面している災害廃棄物や放射能汚染廃棄物の問題解決に向けた研究活動に傾注している中であっても、将来の日本社会にとって「教育」がいかに大切かを認識して、私達研究者が出来ることをこれからも考えていきたいと思います。