私は現在、オーストラリアのシドニー大学に滞在しております。シドニー大学は1850年に設立されたオーストラリア最古の大学で、約5万人の学生がいます。シドニーはまさに「人種のるつぼ」で、大学内もオーストラリア人だけでなく、中国、韓国、ベトナム、フィリピン、イラン、サウジアラビア、インド、ドイツ、フランス、イタリア、米国など異なる言葉、文化、宗教を持つ学生が世界から大勢集まっています。キャンパスは、シドニーの都心(シティ)へバスで10分ほどで行くことができる非常に便利なところにあるにもかかわらず、広大な敷地にゆったりと建物が並び、夏に向かって日差しの強くなった空をとても広く感じることができます(写真)。
私が所属しているのは、理学部物理学科にあるIntegrated Sustainability Analysis (ISA: 持続可能性総合解析)というグループで、 Prof. Manfred Lenzen、Dr. Christopher Dey、Dr. Joy Murrayらスタッフと、博士課程の学生が所属しています。ISAは産業連関分析(2007年10月15日号参照)を中心とした環境システム分析を行っており、理論面でも実証面でもその実績は世界随一の機関です。現在、特に精力的に取り組んでいるのが、詳細な多地域間産業連関モデル(Multiregional input-output model: MRIO)の開発です(2010年11月1日号参照)。詳細なMRIOができると、各国の経済活動が、世界のどの国の環境負荷を間接的に引き起こしているかを詳しく解析することができます。例えば、中国の温室効果ガス排出量の一部は、日本への輸出が原因であることが分かり、中国の排出削減に対する日本の責任を考えなければならない場合には、とても重要な情報となります。ISAは世界でも類を見ないほどの多くの国と産業部門をMRIOに如何に低コストで組み込むかをモットーとし、それを達成するための方法論やツールを開発しています。
今後、ISAが公開する予定の巨大なMRIO は世界経済全体を捉えたエネルギー、資源、環境負荷の分析において、広く活用されることが期待されます。一つ難点をあげるとすると、世界経済は非常に大きいのか、たとえ1年分のMRIOでも普通のパソコンではデータが重すぎて操作が容易でないということです。ご関心のある方にとっては、ハイスペックなパソコンが必要になりそうですが、「パソ子のゆくえ」(2007年11月5日号参照)にはご注意ください。
続いて、環境問題に関わるオーストラリアの出来事を一つご紹介します。
オーストラリア政府は、Carbon price legislation(炭素価格制度)、いわゆる炭素税の導入に向けた検討をずっと行ってきました。炭素税を課すと石炭火力が中心である電力業界への影響や、電気やガス代などの値上げを通じた家計負担の増加が予想されます。また、CO2排出削減の実質的な効果に関してもいろんな意見があったのですが、2011年10月12日に法案は連邦議会下院を賛成74票、反対72票の僅差で通過しました。その通過直後、炭素税の導入に力を入れてきた首相のジュリア・ギラード氏(女性)は前首相のケビン・ラッド氏(男性)と国会でキスをして喜びました。とても嬉しいときには、国会でのキスもOKと、オーストラリアと日本との文化の違いを、炭素税導入決定の場面からも感じました。2011年11月8日に上院議会でも可決したことで、炭素税が2012年7月1日より課せられることになります。
炭素税は、火力発電所などの排出量の多い約500の企業に対して、二酸化炭素1トンあたり23オーストラリアドル(1オーストラリアドルを80円とすると1840円)を徴収します。炭素税は毎年2.5%ずつ引き上げられ、2015年7月1日からはEmission trade scheme(排出量取引制度)に移行します。二酸化炭素1トンあたりの価格は排出する権利を売買する市場によって決まるようになります。
さて、一般の多くの人の関心は、どれだけ生活費が上がるのか?ということです。政府は徴収した炭素税の半分以上を家計に還付します。平均で1世帯あたり1週間に9.90ドルの生活費(3.30ドルの電気代値上げ、1.50ドルのガス代値上げを含む)が高くなるものの、所得税の減税や年金受給額の上昇などを含め、平均で週に10.10ドルの補助が政府から受けられると説明されています。しかし、補助額は配偶者の有無、世帯収入、子供の数や年齢、年金受給者の数、共働きか否かによって決定する複雑な仕組みになっています。そのため、政府は簡単に補助額を見積もるための、ホームページ(Household assistance estimator)を提供しています。
試しに、私の条件を入力してみると、年間で563ドルの生活費(1週間で11ドル)の増加が見込まれるが、年間409ドルの補助があり、実質で年間154ドル(1ドルを80円として12,320円)の負担増が見積もられました。この金額の受け止め方は個人によって異なりますが、エネルギー資源の豊なオーストラリアから率先して低炭素社会を築く、価値のある投資となることが期待されます。私は2012年3月には日本へ戻るため、炭素税導入後のシドニーの生活の変化を肌で感じることはできませんが、シドニー大学の仲間を通じて現地の生の声を聴き、自身の研究に役立てて行こうと思います。