現在僕は福島支部汚染廃棄物管理研究室1)という所属で、多くの人の協力を得ながら、福島第一原子力発電所事故によって放射性物質で汚染された環境を回復するための研究を行っています。特に、汚染廃棄物の減容化(焼却灰の熱処理とその後の灰洗浄・吸着濃縮、セメントなどによる安定化)と処分(県外最終処分の技術戦略の検討)が担当です。クロスアポイントメント制度という複数の機関に所属し、固有の専門能力を発揮する役割です。研究に専念でき、中学、高校時代になりたいと思っていた念願の学者生活を送っています。この環境回復研究2)には、従来の専門分野を超えた多様な研究者が参画しています。この活動において考えた基礎理論の意味について話してみます。
事故により東日本の広い範囲が放射性セシウムにより汚染されました。セシウム(Cs)は環境中にも普遍的に存在し、放射性Csもすでに環境中にある安定Csと同じ挙動をします。土壌の中では粘土鉱物に強く吸着され、実質的に地下水には移行しません。Csは生活環境で可燃物にも一定割合で含有され、これらが可燃ごみとなると焼却施設で焼却されます。この際、廃棄物に塩化ビニルなどに由来する塩素が含まれるとCsは水溶性の塩化セシウム(CsCl)となり焼却飛灰として回収されます。放射性Csを含む可燃ごみを焼却しても、焼却施設にあるバグフィルターなる集塵装置で放射性Csを回収し、排ガスから検出できない程度に取り除くことができます。あるいは、2020年3月から稼働している溶融を用いた焼却灰の熱的減容化施設3)でも、溶融飛灰として大半のCsは焼却灰から分離・回収されます。これらの飛灰を水洗すると放射性Csは他の安定Csと一緒に水に溶けだします。ここから種々の吸着剤を用いてCsを選択的に回収できます。
これらの研究過程で、周囲の研究者の関連発表を聞いていて、いくつも疑問点を感じましたが、今回は2点を取り上げてみます。
まず1)についてです。Csなどのアルカリ金属を塩化物として高温で揮発させて取り除く方法は塩化揮発と呼ばれ、工業的にも用いられるよく知られたものです。CsClの沸点は1273℃なので、1400℃を超えるような溶融炉ではCsClが揮発する、としばしば説明されます。沸点よりも高温に加熱するのだから、当然揮発するのだ、という訳です。なるほどと思うかもしれないですが、じつは短絡的すぎます。水の沸点は100℃ですが、氷からも水分子は大気中に昇華しますし、コップの中に水を入れて放置しておけば徐々に減っていきます。また、1500℃でもアルカリ塩化物を含有する安定な鉱物相が存在し、そういう場合にはCsClの沸点以上でも一部のCsは揮発しません。つまり、「CsClを含む物質を沸点以上に加熱するから、CsClは揮発する」という説明は不適切なのです。
次に2)の「分配係数」です。本来の意味は、2種類の混じりあわない液体間で、両方に溶解する物質の分配特性を、実験条件に依存しない定数として表現したものです4)。この用語が本来の用法を離れ、いつの間にか放射性廃棄物処分に関する原子力分野での、放射性核種の固液間の分配にも適用されるようになっています。例えば水溶液からのCs除去は、Cs吸着剤により行います。この際、吸着剤と水溶液中のCs濃度の比を「分配係数」と呼んでいます。もちろん「分配係数」が大きいほうがよくCsを除去できます。なるほど、と思いますよね?あたり前になりすぎていて、この用語が生み出す誤解を理解できている研究者はあまり多くないのです。僕自身も、とある老教授に教えてもらいました。
ほとんどのCs吸着剤は、「イオン交換反応」によるものです。粘土もゼオライトもジオポリマーもプルシアンブルー(フェロシアン化物)も原理は同じです。ところがイオン交換反応というものが何なのか勉強していないととてもへんてこなことをやってしまいます。
工学研究の最先端で、基礎理論の観点から周りを見るとこんな不自然なことが起きています。現代の工学は膨大な知識の上に成り立った複雑なものです。よって、考慮するすべての特性に関係する物理化学の基礎理論を正確に理解し、本当の基礎から最先端のエンジニアリングの現場までを構築するのは極めて困難なので、関連業界の通説を正しいとして受け入れてしまうことが多数派です。そして、結果として物事は問題なく動いていくのかもしれません。天動説と地動説の話を持ち出すまでもないのですが、基礎理論は物事をシンプルに記述してくれます。それこそが基礎理論の意味だと思って研究生活を送っています。