遺跡や都市、国立公園などが世界遺産に登録されるには、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が世界遺産条約によって定めた顕著な普遍的価値の条件を満たしている必要があります。さらに登録後の世界遺産所有国がその価値を損なわないよう管理体制を備えていることが専門家によって確認、加盟国によって承認されて初めて世界遺産として登録されます。世界中に1031件(2015年10月現在)ある世界遺産の中でも1992年の登録以来長い間観光客を集めている、カンボジアの「アンコールワット」(写真1)にまつわるごみの話題をご紹介しましょう。
アンコールワットとその周辺の遺産群はカンボジア北西部のシェムリアップ州にあります。この州の人口は約90万人ですが(2014年)、対してアンコールワットを目当てにこの州を訪れる観光客は、2014年現在、年間約200万人に達しています
シェムリアップ州では2011年現在、一日あたり130トンのごみが発生しています。これは観光客数が年間約100万人だった頃の統計ですから、今は更に増えていると考えられるでしょう。世界遺産登録によって世界遺産登録地が受ける環境影響の一つは観光客増加によるごみの発生量増加です。観光客によって捨てられるごみだけでなく、観光業が盛んになることで増える地元住民の増加もごみ増加の原因になるのです。カンボジアなどの途上国では、ごみの処理・管理体制は十分に機能していないことが指摘されていますが、アンコールワットを訪れる観光客の多さから、遺産群を管理しているカンボジアの政府機関であるアプサラ機構 らは2012年に『観光管理計画』を策定しました。この計画をもとに、アプサラ機構は遺跡群周辺のごみ清掃、不法投棄、違法駐車などの環境整備のため、毎月3万米ドル(約360万円)を使って環境整備をおこなってきました。
ごみのポイ捨て禁止などのサイン、ごみ箱設置数の増加などが進み、遺跡群やシェムリアップ市街地など、観光客の目につきやすい場所では、ごみが山積みしたり、の散乱することは少なくなってきました。一方、サインやごみ箱の接しだけではごみの発生量そのものを減らすことはできず、ごみ処理体制が悲鳴を上げ始めているようです。先進国に住む私たちは、ごみが捨てられた後、焼却炉でごみは燃やして処理されると思いがちですが、途上国ではオープンダンプ(オープンダンプをもっと詳しく知りたい人はクリックしてください)と言って衛生的に管理されていない埋立地にごみが積まれていることがほとんどです。シェムリアップも例外ではなく、外国の支援により衛生的な埋立地の建設支援が計画されていますが、現状はオープンダンプに大きなごみ山ができており、許容容量の限界に近づいています。
このオープンダンプではリサイクルできるプラスチックなどを集めるウェイスト・ピッカー(ウェイスト・ピッカーについてもっと知りたい人はクリックしてください)と呼ばれる人たちがお金になるごみを集めて売却して生計を立てていますが、彼らの状況の悲惨さを見学する、「アンコールワット近くのオープンダンプツアー」が観光の一環となり、多くの観光客が押し寄せて、ごみの山を歩き回ったり、ごみ山で働く人たちの写真を無断で撮影したことが近年問題になりました(今はオープンダンプ近くは関係者以外立ち入り禁止となりました)。
ところで、世界遺産に登録されている日本の観光地では、「ごみは持ち帰ろう」という考え方が一般的で、観光地からごみ箱は消えつつあります。自分の出したごみは自分で始末する、という考え方に加え、ごみ箱や捨てられたごみそのものが景観を損ねるためです。筆者は2015年4月にアンコールワットを訪れるにあたって、「ごみ箱が増加したアンコールワットはどのような景観になっているのだろう」と考えていました。
訪れてみると、主要な遺跡の敷地内にはなるべく周辺の景観になじむようなごみ箱が設置され(写真2)、アプサラ機構の清掃員が頻繁にごみ箱やその周辺の清掃をしています。ある清掃員がごみ箱に捨てられたごみを取り出し始めたので様子を見ていると、プラスチック、ペットボトル、果物(ココナッツやパイナップルなどが屋台で売られています)などを手で分け、それぞれに違う袋に入れ始めたのです。そしてごみ箱の横にペットボトルだけ入った袋を置いていきました(写真3)。
しばらく観察していると、観光客たちもペットボトルはごみ箱には入れず、ペットボトルの入った袋に捨てていきます。同じ光景は、筆者が訪れた遺跡内のごみ箱、複数個所で見られるだけでなく、シェムリアップ市内でも見られるのです。リサイクルを推進しようという計画は存在していても、回収する時に分別するという制度はカンボジアではまだ普及していません。それが清掃員の小さな取組によって観光客のみならず地域住民らも促されてペットボトル分別をしているのです。 気になって地元の人たちやガイドさんに尋ね始めると、ペットボトルの分別は比較的最近見られるようになった、とのこと。 主に先進国などからの観光客はペットボトルを別の袋に分けるのは当たり前のようにしているし、住民らもそれにならって分けるようになってきたのでは、というのです。ペットボトルはリサイクルできるごみとしてお金になるので、清掃員がリサイクル業者に売っている可能性もあるかもしれません。
筆者が滞在していた数日間のごみ箱の様子を見る限り、ごみがあふれる前に清掃員がペットボトルとその他食べものなどのごみに仕分けをし、定期的にごみ箱からごみを収集、ペットボトルの袋も溜まるとカートに入れて遺跡外に運び出すという作業が見られたことは、ごみ清掃が日々の習慣(決められた一連の動き)になっていて、少なくとも遺跡周辺や市街地では、ごみ箱からごみをあふれさせることなく、回収する仕組みが機能しているということができます。
世界遺産を訪れる観光客の増加による環境への負の影響については世界遺産審査の際に登録の是否さえ議論になる、重要な問題です。 遺産の価値が認められ、その土地の人々や国の誇りとなり、経済的な利益をもたらす側面がある一方で、遺産に影を落とすことになりかねないためです。負のインパクトに対する対策は世界遺産モニタリングとして6年毎に保全状況を報告し、問題に対する指摘を受ければ管理計画を改訂することが求められます。一方計画が存在しても、実行されないことも少なくありません。アンコールワットでは急激な観光客増加によって世界遺産やその周辺にもたらされうる悪影響を最低限にするため、観光管理計画を作るだけでなく、保全のための人やもの(ごみ箱)の設置をしようと努力しています。そうした努力に加えて、現地で見られるごみ管理の工夫の一つについて事例をご紹介しました。
- APSARA National Authority (the Authority for the Protection and Management of Angkor and the Region of Siem Reap)