2015年も複数のノーベル賞を日本人が受賞しました。世の中は総じてこのことを好意的に受け止めています。一方でここ数年、日本国内の科学に関する話題は、剽窃(コピペ)論文、虚偽・不正行為など決して明るいものばかりではありませんでした。科学の成果や科学者の活動は、時として生活感に欠ける嗜好品のように、憧れや驚嘆とともに、蔑み、罵倒する対象ともなります。日本人の多くは、「はやぶさ」が宇宙から帰還した際に歓喜しましたが、同時に、そのほとんどの人が、事業仕分けの際には科学技術研究に膨大な予算が割かれていることに憤ってもいたのです。そのどちらも、正しく、自然な態度であることは間違いありません。
「八十日間世界一周」や「海底二万里」で有名なフランスの作家ジュール・ベルヌは、小説「二十世紀のパリ」において、科学が発展し巨大な計算機が支配する未来を描き、文化や芸術がすべて金銭的な価値で評価される世界を予想しています。1901年の正月に報知新聞が掲載した「二十世紀の豫言」においても、携帯電話の発達、カラー写真の長距離転送、通信販売(ネットショッピング)など、現代の我々が享受している多くのテクノロジーに関する言及があります。衛生的な社会の実現や、医療技術の発達も、百年前に描かれた未来はおおよそ現実のものとなっています。そのころから、科学は便利さや快適さをもたらしてくれる反面、人間同士の関係性が希薄になり精神的な豊かさに欠ける社会を到来させるのではないか、という風潮がありました。二十一世紀の現在、その漠然とした不安感はより先鋭化し、科学は国民の厳しい視線に晒されている状況にあります。ただ、科学に対する信頼性や、科学者に対する敬意の念が、完全に失われているとは思いません。むしろ国民の科学に対する知識や理解度が高まったからこそ、それぞれが科学的な視点や立場を持ち、科学者の活動に対して懐疑的な意見を述べる機会が増えた、という結果だと考えます。
現代の科学者は、アルキメデスのように権力者に知識や学問を教授することを主たる生業にはしていません。ガリレオやニュートンらによる「科学革命」以降、科学とは、再現可能な方法で証明可能な説(誰もが同じ方法でやれば確認ができるということ)を蓄積・発展するものとなっています。ただ、これまでは、実験や調査を再現し科学者の論説を実証・反証すること自体が、事実上は科学者にしかできなかったため、科学者同士での厳しい批判や審査を経て、科学者集団で同意を得るプロセスが重要視されてきたのです。しかし情報化が進んだ恩恵で、職業が科学者でなくとも科学論文にアクセスすることは容易となり、社会全体が科学者の論説に対して科学的に反論可能な状態になりつつあります。さらに、SNSでの告発を通じて論文不正や剽窃行為が衆目に集めたことは、科学者による相互批判の怠慢でもあり、科学がようやくその本来のあるべき姿にたどりつつあるという証でもあると考えます。
科学研究が専門化し、職業科学者とその集団が誕生し、科学教育が系統立てて行われるようになり、社会にその成果を還元することで、科学は社会システムの一部として役割を果たすようになりました。このことを「科学の制度化」といいます。科学や科学者も社会の一部である以上、その発言や行動が社会的責任を有するのは当然であり、アカデミズムの名の下に特権階級者のように振る舞うのは、時代遅れの姿であることは明白です。「科学者は世間知らずだからしかたない」、とか「学者だから好きなことをやっていていい」、と、世間が許してくれる時代はもう過ぎたのです。ただし、科学研究成果の学問的価値については、近視眼的に実益や金銭に換算して評価できるものばかりではなく、社会の長期的な成長を支える基盤的な知見であったり、これまでの科学体系を覆すような重要な発見(往々にして当初は批判に晒される)であったりするかもしれません。芸術や文化と同様に、もしくはそれ以上に、学問に対しても社会における寛容さは薄れてきていますが、だからこそ科学者自身が相互批判精神の中で、真に意義のある研究課題を埋もれさせることがないよう、細心の注意を払う必要があります。
ひるがえって、国立環境研究所の職員たる我々は、科学者を名乗る資格があるでしょうか。制度化された科学コミュニティの一員であることは間違いないようです。しかし同時に公的研究機関ということにあぐらをかいて、どこか一方向だけを向いて仕事をしているようでは、科学革命以前に逆戻りしてしまっていることになります。我々の研究成果は、時として政策に反映され、社会に大きなインパクトを与える可能性があります。ただし、イノベーションもなしに過去の科学の成果を単に消費しているだけでは、科学の知見は蓄積も発展もしていきません。公的機関として求められる研究、社会が求める成果、それらの科学的正当性の審査(反論や実証)、そして国民との科学的な対話、現代の科学者としてはどれも忘れてはいけないことを自戒しながら、職業としての研究に向き合う必要があるのだと肝に銘じる必要があります。