2010年1月25日号
余剰水銀を安全に長期保管するために小口正弘
水銀は、環境中へ排出されると残留して生物にも濃縮し、また、大気中で国境を越えて移動して地球規模の環境汚染を引き起こすことなどから、排出量削減に向けて国際的に使用を削減する方向で対策が進められています。 日本では、水俣病の教訓からできるだけ水銀を使わない製品やプロセスの開発の努力がされてきており、現在はどうしても必要な用途でのみ使用されています。身近なもので蛍光灯、一部の乾電池や体温計、意外なところでは漆器や朱肉、神社の鳥居などの塗料(朱色の色付け)などに水銀が使われています。環境省資料によれば、日本では合計で年間10〜15トンの水銀が使用されています。 一方、水銀の生産はどうなっているでしょうか。日本では、天然資源からの生産は昭和49年以降なくなっており、現在は廃棄物等からの回収のみとなっています。水銀を含む廃製品は分けて集められ、専用施設で水銀が回収されています。それ以外に水銀は、金属製錬や火力発電などから出る副産物等からも回収されています。これは、金属の原料となる鉱石や発電燃料の石炭などに元々水銀が含まれているためです。先の資料によれば、年間で廃製品から約15トン、副産物等から約75トンの水銀が回収されており、実は副産物等からの回収量が圧倒的に多いのです。しかも、廃製品からの回収は水銀の使用削減に伴って減少すると予想されますが、副産物等からの回収は製錬や火力発電が続く限りなくなることはありません。 使用量と回収量の差から、国内では年間約75〜80トンの水銀が余剰になっていることがわかります。この余剰水銀は最終的に輸出によって消費されています。同様に、ヨーロッパやアメリカからも余剰水銀が輸出されています。しかし、使用量削減の流れの中で、水銀需要は世界的にも減少していくことが予想されます。また、輸出された水銀の一部は発展途上国などで最終的に大気へ排出されていると言われており、輸出後の管理が難しいことから、水銀の輸出禁止も国際的に議論されています。 このように、水銀の輸出が将来的に難しくなると考えられることから、今後、余剰水銀を各国内で安全に長期(永久)保管することが必要になる可能性があります。近年、そのための保管方法の検討が各国で行われつつあります。例えばヨーロッパでは、岩塩を採取した後の岩盤内に自然界に多く存在する硫化水銀の形で地中保管する方法が検討されています。日本にはこれと同じような場所があるわけではありませんので、他の方法や形態も含めて、安全かつ安価に水銀を保管できる技術を幅広く検討することが必要です。 そこで私たちは、余剰水銀の長期保管方法の検討の第一歩として、熱力学的なデータに基づいた保管形態の絞り込みを行っています。 水銀は常温で液体の金属のため、保管するとしたら固体の化合物や合金にした方が取り扱いやすく、また漏えい事故なども起こりにくいと考えられます。そこで私たちはまず「平衡状態図」というものを見て、様々な水銀化合物や合金が常温で固体であるかどうかを判断し、固体で存在する化合物・合金を保管形態の候補として絞り込みました。平衡状態図とは、温度や圧力、濃度などの条件に対して物質がどのような状態で安定に存在するかを示したものです。例として、水銀とカドミウムの平衡状態図を図に示します。横軸に水銀の濃度、縦軸に温度をとり、水銀とカドミウムをある濃度と温度で混ぜたときに固体となるのか液体となるのかが示されています。 点線で示した常温(25℃とします)の位置を見ると、水銀をモル分率0〜78%の範囲で混ぜたとき、水銀とカドミウムは固体の合金として存在することがわかります。このことから、水銀カドミウム合金は水銀の保管形態の候補になり得ると考えられます。同様に、約60の元素との組み合わせについて調べたところ、水銀は45の元素と常温で固体の化合物、合金を作ることがわかりました。さらに、高価な元素(貴金属など)、供給量が少ない元素(一部のレアメタルなど)、取扱いに危険を伴う元素(放射性元素やアルカリ金属など)は使えませんので、それらを除くと、カドミウム、塩素、銅、マンガン、ニッケル、鉛、硫黄、セレン、スズ、チタン、亜鉛、ジルコニウムの12 元素との化合物・合金が保管形態の候補として絞り込まれました。 さらに、これらの化合物や合金について、ある保管条件で水銀がどのくらい蒸発するかを推定し、大気環境への排出がなるべく少ない保管形態の検討に着手しました。全てを実験で測定するのは大変ですので、私たちはまず「熱力学平衡計算」によって起こり得る水銀の蒸発量を計算しました。熱力学平衡計算は、物質をある条件下に長時間置いたときに、何がどのような状態で存在するかを熱力学データに基づいて計算するものです。十分なデータが揃っているカドミウム、鉛、硫黄、セレン、亜鉛との5種類の化合物・合金について計算をしたところ、セレン、硫黄、カドミウムとの化合物・合金からの常温付近での水銀蒸発量はこの順に少なく、液体水銀よりも小さいと推定されました。一方、鉛、亜鉛との合金からの水銀蒸発量は液体水銀よりも大きいと推定され、水銀の保管形態としては不向きであることもわかりました。現在は、この5種類以外の化合物や合金についても必要なデータを集め、計算をしようとしているところです。 なお、余剰水銀を安全、安価に保管するためには、水銀の大気排出の他に、化合物や合金と反応しない保管容器の材質、地中保管を想定した地下水への水銀排出の可能性などの様々な技術的視点に加え、保管形態とする化合物や合金の作製、保管にかかるコストなども総合的に考慮する必要があります。私たちが参画している大学等との共同研究グループでは、適切な保管方法の確立に役立つ知識の提供に向け、これらの研究を進めています。 <もっと専門的に知りたい人は> |
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