2009年1月13日号
オランダ通信(2)滝上英孝
海外研修報告(於オランダ・アムステルダム自由大学)第二弾ということで、今回は欧州における化学物質の生産や流通、使用に関する新しい管理の仕組み(REACH:Registration, Evaluation and Authorization of Chemicals、2007年6月にEUにおいて発効しています)、中でも化学物質の安全性評価の仕方が大きく変わろうとしているというお話をします。その変化とは、動物実験から脱却する流れです。 化学物質が人の健康に影響を及ぼすかどうか調べるには、事故や汚染事例を除いては人体実験するしかありませんが、これはもちろんできません。代わりに、ラットやマウス、ウサギ、イヌ、サルといった動物に投与して、その実験結果から安全性を評価するのが常でした。動物実験は、急性致死毒性試験や皮膚、点眼刺激性試験、アレルギー感作性試験、変異・発がん性試験、生殖毒性試験など評価目的に応じていろいろあるのですが、欧州全体で年間約1,000万個体(2002年)に上る動物が試験に使われていたそうです。しかし、動物の福祉や権利を主張する動きが強くなり、加えて、2000年代初頭までに特にイギリスで肉骨粉の飼料利用が原因とされる狂牛病により多数の家畜を失ったこと、処分せざるを得なかったことも動物愛護、ひいては動物実験代替化の流れに影響しているのでしょう。 動物実験代替の考え方は、実は廃棄物減量化の考え方とキーワードが共通します。すなわち、3つの「R」が重要になります。この場合の、3Rとはreduction(試験動物数の削減)、replacement(細胞等を用いた試験管内試験(in vitro試験)やコンピューター毒性予測への代替)、refinement(動物福祉に配慮した試験法の改善、苦痛軽減等)を指します。本質的な重要性は、replacement > reduction > refinementの順になりますが、 まずはreductionとrefinementを実現し、より長期的にreplacementを目指すというアプローチをとることになります(一方、既に化粧品については2009年以降、動物実験が行われた原料、製品のEU域内での販売、流通を禁止する決定がなされています)。 最近では動物試験代替を後押ししてくれる有望な技術的ツール(道具)が開発されています。例えば、人の組織、器官への分化可能性を持った胚性幹細胞(ES細胞)が活用できるようになったこと、細胞遺伝子工学技術(ゲノミクスやプロテオミクス、いわゆるomics技術)の飛躍的な進展、さらには膨大な遺伝子情報等から数理的に生物システムを解析し理解しようとする学問(バイオインフォマティクス、システム生物学)が成立したことが挙げられます。 しかし、動物実験で実施されてきた慢性毒性試験(1世代、複数世代試験)や繰り返し曝露試験(反復吸入や皮膚接触による影響等)、それから代謝影響について、これらの代替試験の実現が本当に可能かどうか議論はまだまだ続きそうです。 動物試験代替に関する政策的な動向と並行して、EU(欧州連合)が研究費(総額約1億ユーロ)を支援する動物試験代替の関連研究が産学官の共同実施で現在幾つも走っています。研究テーマは愛称で呼ばれ、かつ名は体を表すものになっています。 例えば、ARTEMIS(子供の記憶学習障害に影響する化学物質の動物代替試験法開発研究、アルテミスはギリシア神話の女神で子供の守護神です)、RAINBOW(ワークショップ開催を通じた動物実験から細胞試験への代替化推進の"橋渡し"事業)、Sens-it-iv(アレルゲンへの感作性(sensitivity)検出法開発研究)、TOXDROP(液滴中に細胞を入れて多検体処理が可能な試験法を開発しようとする研究)などなど。 こういうネーミングができると、研究にことさら愛着と意欲が湧きそうですね。しかも、研究成果(最適化された試験法)は、産業界による化学物質評価に将来使用するということで、実効性の高いものになっています。REACHの制度運用やREACH関連の研究体制を見ていると、当然ながらオランダやドイツといった国単位でなく、EUという「巨大国家」としてのまとまりにある種の脅威すら感じます。 最後になりましたが、私は、この研修期間中、上述したようなREACHで計画されている動物試験代替法を用いた毒性評価体系について情報収集を行っています。また、研修先機関では、ReProTectというEUファンドを受けて生殖毒性試験の動物試験代替研究を行っており、実際に遺伝子組み換え細胞を用いて、エストロゲン、アンドロゲン、プロゲステロン、グルココルチコイドなどの各ステロイドホルモン受容体に作用する化学物質の包括的な検出試験法を開発し、活用しています。私は研究テーマの一つとして、それらの試験にハウスダスト試料(製品から放散される化学物質の直接曝露媒体として重要視しています)や環境底質試料(残留性化学物質の溜まり場であり食物連鎖の起点として重要視しています)を適用して、得られる活性のカテゴライゼーション(試料間での結果の類似性や相違性を解析してグループ化を行い、試料の含有する化学物質との関連性を調べること)を行っています。 |
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