循環型社会・廃棄物研究センター オンラインマガジン『環環kannkann』 - 近況
2007年10月1日号

発生源研究の大切さ

安田憲二

 私が大学院を修了して就職したのは1973年の第1次石油ショックの時でした。専門は化学でしたが、この分野は不況で採用人員が大幅に減少したため、最終的に第1希望の民間企業ではない神奈川県に就職しました。

 神奈川県での配属先は、神奈川県公害センターの大気部でした。1年目の時に同期の友人に誘われ、東大で宇井純先生が開講されていた自主講座「公害原論」に参加しました。「公害原論」では、 「苦海浄土」で有名な石牟礼道子氏や荒畑寒村氏など多士済々の方々の講演があり、大変感激しました。「公害原論」で宇井先生が常々唱えていたことは発生源対策が公害対策の根幹であり、最も重要な研究対象であるとのことでした。この影響もあり、私は迷わず研究課題として発生源を選びました。

 発生源には工場の製造施設や廃棄物焼却炉などの固定発生源と、自動車などの移動発生源があります。私が選んだのは固定発生源であり、2年目から廃棄物焼却炉を対象とした研究に取り組みました。 焼却炉の測定では、垂直のはしごで20m以上の高さまで登ったり、雰囲気温度が50℃を超える場所での測定をしたりと大変でした。1980年代末から普及し、1989年には流行語としてノミネートされた言葉で3K(「危険」「汚い」「きつい」の頭文字Kからきたものです。) がありますが、この言葉がまさに流行している時に、3Kそのものの仕事をしていたことになります。

 廃棄物焼却炉の研究では、燃焼管理を中心とした有害物質の排出抑制が課題でした。当時は、燃焼で排出される有害物質は公害防止装置で捕集し大気中への排出を抑制することが主流でしたが、このやり方では捕集後に廃棄物が発生してしまいます。 そこで、燃焼方法を改善することで有害物質の発生そのものを抑制する方法について研究しました。研究の成果は、3年後の1978年に行政との共同作業で「廃棄物焼却炉の対策マニュアル」として実を結びました。

 環境省の前身で1971年に発足した環境庁は、職員が少ないこともあり、特に発生源に関する事業の多くを地方自治体に委託しました。地方自治体では発生源に関して許認可権があり、日常的に測定等の調査を実施していますので、 その経験を生かしたわけです。また、環境庁では調査の成果を発表する場を設けました。ここでは、発生源調査のほか環境調査の成果も報告されました。全国レベルでの自治体の発表の場は、環境省になったあとも引き継がれ、今日に至っています。

 国と自治体の二人三脚は環境庁だけではありませんでした。1974年に環境庁の研究機関として設立された国立公害研究所(現国立環境研究所)も、自治体とともに研究を推進しました。1988年に地球温暖化対策の委員会が環境庁の要請で初めて組織されましたが、 このときの座長が当時、国立公害研究所の大気環境部長であった秋本肇であり、その他の委員は全員地方自治体の職員でした(私も参加しました)。2年目は、座長が当研究所前理事の西岡秀三に代わりましたが、委員の構成は同じでした。 この時も、発生源を中心に温室効果ガス排出量を把握することを目的としていました。この委員会で検討した内容は、その後の国の研究に生かされています。

 自治体と国立環境研究所との協調は、委員会だけではありませんでした。今日も行われている客員研究員制度を使って、多くの自治体職員が国立環境研究所の研究に参加しました。私も10年以上にわたって客員研究員を仰せつかり、貴重な経験を積ませていただきました。

 私事ですが、私は2004年3月に神奈川県を途中退職して岡山大学に移りました。岡山大学には3年間在職しましたが、この間、ごみの排出抑制などの研究と学生の研究指導に当たりました。2007年4月からは国立環境研究所の循環型社会・廃棄物研究センターに移り、発生源対策関係を中心に研究を行っています。

 発生源の調査等は相変わらず3Kの域を出ておらず、あまり人気はありませんが、公害対策の根幹であるとの信念はいささかも揺るぎません。目下の関心事は、発生源研究に関する経験と知識を若い人に継承して、研究が継続できる体制づくりに貢献することです。

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